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韮山反射炉が世界遺産に登録!ツアー旅行も増加!小松逸夫さんのガイドが評判です。 [地域情報]

伊豆の国市の韮山反射炉が世界遺産に登録されてから連日、観光客で溢れています。
ボランティアガイドの小松逸夫さんのガイドがわかりやすいと評判です。
モーニングバードで紹介されました。

韮山反射炉.jpg
https://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/hansyaro/manabi/bunkazai/hansyaro/cg.htmlより引用

*韮山反射炉とは?


銑鉄を溶かし良質な鉄を生産する為の炉です。

砂鉄や鉄鉱石から作った粗製の鉄の事を銑鉄と言います。
これは不純物を多く含みます。
このままでは、大砲に使用する良質な鉄にはなりません。
そのため、銑鉄をもう一度溶かし、不純物を取り除く作業をする必要がありました。

銑鉄を溶かす為に、反射炉を利用しました。


*反射炉の構造


銑鉄を溶かすには千数百度の高温が必要です。
反射炉は、炉の中の手前に燃焼室がありここで石炭を燃やします。
発生した熱と高温のガスをドーム場の低い天井に反射させ、ドーム下に置いた銑鉄に当てます。
熱を銑鉄に集中させることが出来、溶解させる高温を発生させることが出来ます。

溶けた、鉄を炉外に導き、鋳型に流し込んで大砲などに加工されました。

韮山反射炉 内部写真.jpg
http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/bunka_bunkazai/manabi/bunkazai/hansyaro/index.htmlより引用
反射炉炉体内部(出湯口)

*韮山反射炉の歴史


嘉永6年(1853)のペリー来航により、国の防衛を強化する必要に迫られました。
幕府は江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍(えがわ ひでたつ・坦庵)に反射炉を製造するように命令したのが始まりです。

作り方が解らず、製造には困難を極めました。

江川英龍は安政2年(1855年)に病気で急死。
後を継いだ江川英敏が、反射炉の建造も行っていた佐賀藩に応援を求め、技師の派遣を要請しました。
佐賀藩士の助力を得て、安政4年(1857)11月、韮山反射炉は着工から3年半の歳月をかけて、ようやく完成しました。


*伊豆の国歴史ガイドの会


世界遺産に登録されてから、観光客が増加しています。
登録前では、平日100人前後だったお客さまが、1000人近くまで増加しました。
夏休みに入った休日には、3800人を超えるお客様が訪れました。
その混雑の中、ボランティアでガイドをされている方が注目を集めています。
そのガイドは「伊豆の国歴史ガイドの会」といいます。
休日を中心に、ボランティアで市内の史跡ガイドを行っています。
現在20人ぐらいのメンバーが在籍しています。

過去には、現伊豆の国市の市長「小野登志子(おのとしこ)」さんも在籍していました。


*会長:小松逸夫(79歳)さんのガイドが評判です。


伊豆の国歴史ガイドの会の会長は、小松逸夫(79歳)さんです。
小松逸夫さん、韮山反射炉の良さを伝える為に、ガイドの方法を工夫していました。

その1:手作りの資料で紹介
韮山反射炉の内部構造、わかりにくいですよね?
外観は、見て解りますが、中には立ち入り禁止です。
なので、ボランティア各人が工夫して、
内部構造を書いた手作りパンフレットを作って説明しています。
これが、わかりやすいと評判です。

この手作りパンフレットは、各人がそれぞれ作っていますので、皆、内容が違います。m(__)m

その2:ガイド方法の勉強会
ガイド方法の勉強会を定期的に実施しているそうです。

ガイドの方法が面白いそうで例えば江川英龍を例に出して、
「大手企業の係長クラスです」とか、
「いまでいうブラック企業です」
などの表現も冗談で使っていましたね。

このように、かみ砕いて説明してくれるとわかりやすくて良いですね。(*^^)

小松さんご本人は、
「この韮山反射炉の展望台から富士山が見えます。なので、富士山の勉強もしています」
「火山学なども勉強中です」
と言っていました。

ここ韮山反射炉では世界遺産が2つ同時が見ることができます。
(富士山と韮山反射炉の2つ)
この世界遺産が2つ見ることが出来る場所はここだけだそうですよ!

将来的には、明治産業遺産の世界遺産の案内も出来るようにしたいと言っていました。
なんか、素晴らしいですね!!\(^O^)/


*ボランティアのきっかけ


小松逸夫さんは神戸の出身です。
阪神淡路大震災(1955年1月17日)で、職場と住宅を無くしました。
関連会社があった伊豆の国市に引っ越ししました。58歳の時です。
64歳で引退。
65歳から、市の広報で見つけた「伊豆の国歴史ガイドの会」に参加しました。

なんでも、
「定年を迎えて仕事以外に知合いがいないこの町で、
知合いを作り地域とのつながりを持ちたかったから」
と動機を話していました。

最初、奥さんですが、
「外へ出かけてもらい助かる」
といいながらお弁当だけは作ってくれたそうです。
ところが最近では、
「家のことも少しはやってください!」
と言われているそうです。(^^ゞ

ガイドに熱中していることがわかりますね。

*1度だけでなく、何回も来て欲しいです。


小松さんですが、1度だけではなく、何回も来て欲しいそうです。
そのためにガイドの方法を工夫して、リピーター客を増やしたい。
と言っていました。
ガイドと韮山反射炉に掛ける情熱が伝わってきます。m(__)m

◇韮山反射炉ガイド~資料~
韮山反射炉のガイドですが、事前に予約が出来ます。
伊豆の国市の公式ページから申し込み可能です。
前文をここに紹介します。

ここより引用開始

韮山反射炉へご来訪される観光客の皆様に、
史跡についての理解をより深めていただくために
「韮山反射炉ガイド」を設けております。

空き状況によっては、現地で直接の申し込みも可能ですが、
以下の方法で事前予約をされますことをお勧めいたします。
皆様のご来訪をお待ちしております。
(※なお英語ガイドの受け付けは現在行っておりません。)

引用ここまで。

申し込みは、伊豆の国市公式ページからお願いします。m(__)m
公式ページはこちらです。
http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/kankou/kanko/nirayamahansyarogaido.html


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