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ぶっちゃけ寺 高野山SP!爆笑問題太田 世界遺産の高野山へ!空海の謎スペシャル! [バラエティ]

ぶっちゃけ寺!(7/27)で、高野山に行ったらわかった!
伝説のお坊さん「空海」のスゴい所1200年分見せますSP!!を放送していました。
22の秘密と銘打って高野山と空海に関する秘密を解き明していましたね。

爆笑問題の太田さんと室井滋さん、歴史研究家の河合敦さんが実際に高野山を巡りました。
番組に最後には、室井滋さん胸がいっぱいで涙が込み上げていました。(*^^)

番組中、気になった項目を3つだけ記載します。
長文です。スミマセン!m(__)m

ぶっちゃけ寺!.jpg
http://www.tv-asahi.co.jp/bucchakeji/より引用

その1:根本大塔の中がすごかったです!!



金堂の右後方にある多宝塔。
現在の根本大塔は1937年(昭和12年)に再建されました。
鉄筋コンクリート製です。

根本大塔の中央には胎蔵大日如来像、その四方に金剛界四仏を安置しています。
(金剛界四仏:阿弥陀、不空成就、阿しゅく、宝生)
そして、塔内の柱には十六大菩薩が描かれて、壁面には真言八祖像が描かれています。
絵の作者は、堂本印象さんです。

本来、「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像は別々に安置する物だそうです。
ですがここでは、「両方の根本は1つ」という、空海の思想を表現しています。
なので、根本大塔という名前もここからつけられました。

番組では、
「空海さんは真言密教の教えを言葉だけではなく、絵にして伝えようとしました」
と説明。
「言葉だけでは伝わらないから」
がその真意だそうです。

その絵の代表作が、「金剛界曼荼羅」と「胎蔵曼荼羅」に集約されます。
そしてその「金剛界曼荼羅」と「胎蔵曼荼羅」を立体的にして、
よりわかりやすくしたのが根本大塔だと説明していました。

曼荼羅には、金胎不二(こんたいふに)という考えがあります。
金剛界、胎蔵界のどちらかだけではダメで、色々な個性や価値観、得意技、宗教観など全部違うけど
等しい価値を持っている事を金胎不二(こんたいふに)と言います。

確かに、本堂に入って視界いっぱいに飛び込んでくる、仏像群は迫力があります。
まさに、仏教の小宇宙に迷い込んだような錯覚に包まれますね。
仏様の懐に包まれている感じがします。

この感覚=感じを、体感して欲しい為だと思いました。
(ここは個人の感想です)

根本大塔.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E5%B3%AF%E5%AF%BAより引用

その2:高野山真言宗総本山金剛峯寺のお釜がすごい!



高野山には真言宗の総本山「金剛峯寺」(こんごうぶじ)があります。
もともとは、高野山全体が本山だったそうですね。
現在では総本山=金剛峯寺ということになっています。
この辺の解釈、間違っていたならごめんなさいです。m(__)m

寺紋は五三桐紋と三つ巴紋です。
五三桐紋は豊臣家と関係が深い為だそうですよ。

何でも、織田信長が高野山の僧侶を数百人殺して、さらの高野山攻めをしようとしていました。
ですが、本能寺の変によりこれは頓挫します。

それを引き継いだ豊臣秀吉が寺領の返還を迫り10万の兵で高野山に乗り込んできました。
その時、秀吉側と高野山側の仲介に入ったのが、武士出身の僧の木食応其(もくじきおうご)でした。

木食応其の仲介で、秀吉に服従を誓ったために石高は大幅に減らされるものの、
高野山は何とか存続できました。
そしてのちに、秀吉は木食応其に帰依します。
あの秀吉を帰依させるなんて、すごすぎますね!\(^O^)/

秀吉は寺領を寄進し、また亡母の菩提のため、山内に青巌寺(総本山金剛峯寺の前身)を建てました。
奥の院には、今でも豊臣家の供養塔が並んでいます。


◇柳の間



この部屋では、文禄4年(1595年)に豊臣秀次(ひでつぐ・二代目の関白)が、自害しています。
そのことより「秀次自刃(じじん)の間」とも呼ばれています。

秀次は秀吉の甥に当ります。(姉ともの子供)
秀吉の子供、秀頼に家督を継がせる為に、秀次が邪魔になり切腹を命じた。
と言われていますね。
ですが、抗議の為に自身で自害したのでは?
と河合敦さんが言っていました。

高野山に追放されると一切の罪が許されます。
なので、自害する必要は無いそうですね。
高野山の歴史の中でも、この自害は唯一の事件だそうです。


*個人的に気になったのは、お釜でした。(^▽^)



金剛峯寺は昔、全国の信者さんがお参りに来ました。
大変、参拝客が多かったのですが、
その台所を見るとそれが良く解ります。

金剛峯寺の台所には、大釜が3つあります。

1つで7斗炊けます。
(7斗=126Lです)
3つ全部で98kgのお米をいっぺんに炊けます。
これ、2000人分です。( ・_・;)
二石釜は昭和58年まで実際に使われていたそうですよ。

この山奥にこれだけの人間が集まってくるのは、すごいことですね。


その3:今でも空海が瞑想を続ける場所



高野山の奥、一の橋から奥が高野山の聖域です。
この場所は、奥の院といいます。

この奥の院は約2Kmありますが、この2Kmの間に、
20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が置かれています。
それらが樹齢千年の杉並木の間に並んでいます。

これらの供養塔もすごいのですが、
この更に奥に「弘法大師御廟」があります。
ここが、聖域中の聖域です。

弘法大師様が御入定(ごにゅうじょう)した場所です。
この御廟の下で弘法大師様が今でも瞑想を続けている。
といわれています。

*入定の意味はウィキペディアをご覧下さい。m(__)m
ウィキペディア:入定のページ

ここは、撮影禁止です。
なので、さすがのぶっちゃけ寺でも、撮影は出来ませんでした。
ですが、参拝者は廟のすぐそばまで行くことが出来ます。


*燈籠堂の地下に秘密がありました。



弘法大師廟の手前に燈籠堂があります。
ここには、信者から寄贈された燈籠が約2万基もありました。

その中でも、約1000年間、火が絶えていない燈籠があります。
貧しい娘のお照が大切な髪の毛を切って、お金に変え寄贈したと言われています。
(貧女の一燈)

そして、ここには地下室があります。
この地下室も通常は撮影禁止だそうです。
ぶっちゃけ寺なので、特別に撮影許可が出ました。

この地下室、弘法大師廟の地下におられる弘法大師様と同じ深さに作られています。
弘法大師様の目線に立てる場所です。

この、場所に行くまでの通路には約5万体の小さな弘法大師像が奉納されていました。
まさに、空海の身心に触れられる場所ですね。

この地下室ですが、地下室の正面にうっすらと弘法大師様の絵が壁に浮かび上がっていました。
この絵に対面した、室井滋さん、目に涙を浮かべていました。
何でも、胸がいっぱいになったそうです。

この場所は今でも、弘法大師様の心に触れられる場所かも知れません。
なるほど、
今でもその心がおられ、救いの手をさしのべている。
といわれる所以ですね。

高野山に余り興味が無かったのですが、この番組を観てこの燈籠堂に行って見たいと思いました。

長文お付き合いくださいましてありがとうございました。m(__)m


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