なべやかん、替え玉の明治大学裏口入学の真相と顛末。事件後、家族が崩壊しなかった訳。 [芸能]
しくじり先生(8/17)で「なべやかん」さんが、
明治大学文学部(二部)の替え玉受験を振り返っていました。
替え玉受験の真相と顛末、その時のなべ親子の気持ちを振り返ります。
http://office-kitano.co.jp/talentposts/588より引用
1991年の明治大学で替え玉受験事件がおこりました。
その発覚した替え玉受験生が「なべやかん」さんでした。
なべやかんさん当時、高校から大学に進学しようとしましたが、
とても進学できるレベルでは無かったそうです。
学力が足りないのは自覚していたようです。
しかし、真面目に勉強しません。
結局、通算3浪したそうです。
当時を振り返り「目の前の事から逃げていた」といいます。
そのような時、父のなべおさみさんから、
「推薦枠で入れてもらえそうだぞ。どうだ?」
と言われて入試を受ける気になりました。
おさみさんが、
「履歴書を書け。写真は貼るな」
と言ったので、履歴書を作製。
撮影した証明写真は、履歴書には貼らずに封筒に一緒に入れました。
履歴書を送ったら、試験も受けていないのに
明治大学文学部(二部)の合格通知書が来たそうです。( ・_・;)
入学式の1日前に、大学に呼び出されました。
指定された会議室に入ると大学の偉い方がずらりと並んでいた。といいます。
部屋の真ん中に座らされました。
目の前に、願書と受験票の2つを並べて出されました。
写真を見ると、自分とは似てもいない人物が写っていたそうです。
その時に初めて、やかんさん「替え玉受験だ」と気がついたといいました。
やかんさん、「相撲部として合格していたらしい」と告白。
出演者全員から、それはばれる!!と突っ込まれていました。(^^ゞ
当時、大学内部で権力闘争が起こっており、内部告発で替え玉受験が発覚します。
やかんさんの事件発覚後、合計20件もの替え玉受験が発覚しました。
大学内での不祥事も明るみになるなど、大騒動へと発展。
過去まで遡り、捜査が進みます。
当時、大学側の関係者が組織的に関与しており、
派閥ごとに推薦とか取引入学とか色々そういうのをやっていたそうです。
学校側に多くの問題があった。
とゆうことでやかんさん結局、不起訴処分になりました。
裏口入学を斡旋したとされる、3人の大学関係者とOBらは逮捕され、
有罪になりました。
過去に替え玉で入学した生徒は、退学、又は停学処分に。
91年の替え玉で合格した受験生は、不起訴でしたがもちろん不合格扱いとなりました。
これにより、真面目に受験して不合格になった学生がいるかも知れません。
そう考えると、やはり逮捕者がでても仕方がないな。と思いました。m(__)m
やかんさん、当時は、何からでも逃げる癖が付いていた。といいます。
そして、当時は父のおさみさんが大変厳しくて、父親からも逃げていました。
ですが逃げながらも、父に頼っていました。
父のお金に頼っていたといいます。
この辺は本音ですね。
最後は、父が何とかしてくれる。
その想いがあったそうです。
その父が持ってきた案件です。
断る理由がなかったそうです。
3浪もしていましたしね。(^^ゞ
何に後悔したのか?
それは、裏口入学した事により、
仕事が大好きな父から仕事を6年間もの間、奪ったことでした。
なべおさみさん、この事件により6年間も仕事が干されました。
やかんさん、自分が独り立ちして仕事をやり出して、
「初めて父の偉大さがわかった」と言っていました。
まあ、今更なのですが、これに気がついただけ成長したということですね。
番組の最後に、なべおさみさんがVTRでコメントを寄せていました。
そこで、やかんさんにお礼を伝えていました。
なべおさみさん(VTRより):
貴方に本当に迷惑をかけたと思います。
しんどい目に遭った。など、一言も言いませんでした。
小さな巨人です。
この事件によって家族がバラバラになることはなかった。
貴方が、愚痴などを示さなかったおかげです。
改めて感謝します。
やかんさんが事件後、前向きに生活していたことがわかります。
この事件で、親子の絆が強くなった。とやかんさん言いました。
これを見て、親が大きい存在なら超えていくのが難しい。
と、思いましたね。
でも、人生をサボるのとは違うかな?とも感じました。m(__)m
やかんさん
「昔逃げてばかりおり頑張らなかったツケを、今、払っている」
と言っていました。
そうですね、どこかで頑張らないといけないですね。
最後にやかんさん
「自分の人生に、替え玉は出来ない」
と言っていたことが、印象的でした。
替え玉がばれてから、唯一救いの手を伸ばしてくれたのが、北野武さんでした。
武さんの付き人として、たけし軍団に入ります。
武さん、群がる取材人からやかんさんを守りました。
大変助かった反面、これが地獄だったとも。
軍団での身体を張った無茶ぶりに悲鳴を上げました。
~例~
*バンジージャンプを飛ぶと背が伸びるのは本当か?
1度だけでは、わからないので何回か飛んだそうです。
結局、7mm伸びました。
*水中モグラたたき
水槽に5つの穴が空いた板を張り、6人を水に潜らせ、
穴から出てきた頭をピコピコハンマーで叩く。
叩くのは、武さんです。
みなさん、決してまねしないようにしてください。m(__)m
これ、体力無いと死にますね!(^^ゞ
体力をつけないとついて行けない!と言うことで、
パワーリフティングを始めました。
何となく始めたそうですよ。
ですが、始めて見ると何となくではすみませんでした。(*^^)
1998年にはアジアベンチプレス大会で優勝。
1998年と99年には、世界パワーリフティングベンチプレスの部で準優勝しています。
全日本パワーリフティング選手権でも1998年、1999年、2000年が準優勝。
2001年、2002年、2004年には優勝しました。
52kg級ベンチプレスで147.5kgの日本記録を保持しているそうですよ!
なかなか本気ですね。
この優勝は、初めて自分の力で取ったタイトルなので嬉しかったそうです。
人生どこで何が待っているかわかりませんね!(*^^)
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明治大学文学部(二部)の替え玉受験を振り返っていました。
替え玉受験の真相と顛末、その時のなべ親子の気持ちを振り返ります。
http://office-kitano.co.jp/talentposts/588より引用
*明治大学文学部(二部)の替え玉受験
1991年の明治大学で替え玉受験事件がおこりました。
その発覚した替え玉受験生が「なべやかん」さんでした。
なべやかんさん当時、高校から大学に進学しようとしましたが、
とても進学できるレベルでは無かったそうです。
学力が足りないのは自覚していたようです。
しかし、真面目に勉強しません。
結局、通算3浪したそうです。
当時を振り返り「目の前の事から逃げていた」といいます。
そのような時、父のなべおさみさんから、
「推薦枠で入れてもらえそうだぞ。どうだ?」
と言われて入試を受ける気になりました。
おさみさんが、
「履歴書を書け。写真は貼るな」
と言ったので、履歴書を作製。
撮影した証明写真は、履歴書には貼らずに封筒に一緒に入れました。
履歴書を送ったら、試験も受けていないのに
明治大学文学部(二部)の合格通知書が来たそうです。( ・_・;)
*事件の発覚
入学式の1日前に、大学に呼び出されました。
指定された会議室に入ると大学の偉い方がずらりと並んでいた。といいます。
部屋の真ん中に座らされました。
目の前に、願書と受験票の2つを並べて出されました。
写真を見ると、自分とは似てもいない人物が写っていたそうです。
その時に初めて、やかんさん「替え玉受験だ」と気がついたといいました。
やかんさん、「相撲部として合格していたらしい」と告白。
出演者全員から、それはばれる!!と突っ込まれていました。(^^ゞ
*替え玉事件の顛末
当時、大学内部で権力闘争が起こっており、内部告発で替え玉受験が発覚します。
やかんさんの事件発覚後、合計20件もの替え玉受験が発覚しました。
大学内での不祥事も明るみになるなど、大騒動へと発展。
過去まで遡り、捜査が進みます。
当時、大学側の関係者が組織的に関与しており、
派閥ごとに推薦とか取引入学とか色々そういうのをやっていたそうです。
学校側に多くの問題があった。
とゆうことでやかんさん結局、不起訴処分になりました。
裏口入学を斡旋したとされる、3人の大学関係者とOBらは逮捕され、
有罪になりました。
過去に替え玉で入学した生徒は、退学、又は停学処分に。
91年の替え玉で合格した受験生は、不起訴でしたがもちろん不合格扱いとなりました。
これにより、真面目に受験して不合格になった学生がいるかも知れません。
そう考えると、やはり逮捕者がでても仕方がないな。と思いました。m(__)m
*なぜ受験したのか?
やかんさん、当時は、何からでも逃げる癖が付いていた。といいます。
そして、当時は父のおさみさんが大変厳しくて、父親からも逃げていました。
ですが逃げながらも、父に頼っていました。
父のお金に頼っていたといいます。
この辺は本音ですね。
最後は、父が何とかしてくれる。
その想いがあったそうです。
その父が持ってきた案件です。
断る理由がなかったそうです。
3浪もしていましたしね。(^^ゞ
*ですが、モーレツに後悔しました。
何に後悔したのか?
それは、裏口入学した事により、
仕事が大好きな父から仕事を6年間もの間、奪ったことでした。
なべおさみさん、この事件により6年間も仕事が干されました。
やかんさん、自分が独り立ちして仕事をやり出して、
「初めて父の偉大さがわかった」と言っていました。
まあ、今更なのですが、これに気がついただけ成長したということですね。
*なべ家が一家崩壊しなかった理由
番組の最後に、なべおさみさんがVTRでコメントを寄せていました。
そこで、やかんさんにお礼を伝えていました。
なべおさみさん(VTRより):
貴方に本当に迷惑をかけたと思います。
しんどい目に遭った。など、一言も言いませんでした。
小さな巨人です。
この事件によって家族がバラバラになることはなかった。
貴方が、愚痴などを示さなかったおかげです。
改めて感謝します。
やかんさんが事件後、前向きに生活していたことがわかります。
この事件で、親子の絆が強くなった。とやかんさん言いました。
これを見て、親が大きい存在なら超えていくのが難しい。
と、思いましたね。
でも、人生をサボるのとは違うかな?とも感じました。m(__)m
やかんさん
「昔逃げてばかりおり頑張らなかったツケを、今、払っている」
と言っていました。
そうですね、どこかで頑張らないといけないですね。
最後にやかんさん
「自分の人生に、替え玉は出来ない」
と言っていたことが、印象的でした。
*救いの手は武さんでした。
替え玉がばれてから、唯一救いの手を伸ばしてくれたのが、北野武さんでした。
武さんの付き人として、たけし軍団に入ります。
武さん、群がる取材人からやかんさんを守りました。
大変助かった反面、これが地獄だったとも。
軍団での身体を張った無茶ぶりに悲鳴を上げました。
~例~
*バンジージャンプを飛ぶと背が伸びるのは本当か?
1度だけでは、わからないので何回か飛んだそうです。
結局、7mm伸びました。
*水中モグラたたき
水槽に5つの穴が空いた板を張り、6人を水に潜らせ、
穴から出てきた頭をピコピコハンマーで叩く。
叩くのは、武さんです。
みなさん、決してまねしないようにしてください。m(__)m
これ、体力無いと死にますね!(^^ゞ
*パワーリフティングを始めた理由
体力をつけないとついて行けない!と言うことで、
パワーリフティングを始めました。
何となく始めたそうですよ。
ですが、始めて見ると何となくではすみませんでした。(*^^)
1998年にはアジアベンチプレス大会で優勝。
1998年と99年には、世界パワーリフティングベンチプレスの部で準優勝しています。
全日本パワーリフティング選手権でも1998年、1999年、2000年が準優勝。
2001年、2002年、2004年には優勝しました。
52kg級ベンチプレスで147.5kgの日本記録を保持しているそうですよ!
なかなか本気ですね。
この優勝は、初めて自分の力で取ったタイトルなので嬉しかったそうです。
人生どこで何が待っているかわかりませんね!(*^^)
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