IVANがホームレス時代を告白。しくじり先生で4ヶ月間の体験を語る。なぜ路上で生活? [芸能]
しくじり先生(8/18)に先生として出演したIVAN先生。
4ヶ月間、路上生活の様子を詳細に説明しました。
路上生活時代になんと○○Kgも太ったとも!!(^^ゞ
http://dimora.jp/talent-info/1/248604/?areaId=03より引用
全ては「個性的=格好いい」をはき違えたからといいました。
当時、パリコレの男性モデルまで務めたIVANさんですが、
同時にロックバンドも結成して音楽活動をしていました。
モデル活動+ロックバンド=個性的で超格好いい。
とはき違えていたそうです。
ロックバンドの活動をもっと優先したいが為に、
モデル事務所を勝手に辞めます。
そして、音楽事務所に乗り換えました。
ですが、音楽事務所です。
モデル活動のサポートはしてくれませんでした。
なんだかんだあり、全てが嫌になったIVANさんは、
この音楽事務所も勝手に飛び出します。
当時、音楽事務所の寮に住んでいました。
そこを、無断で出ます。
そしてそのまま、音信不通になりました。
24歳の時のことでした。
今までの、繋がりの一切を切りたかったそうです。
所持金50万円を持って、ネットカフェで生活を始めます。
携帯は誰とも連絡を取りたくなかったので、持っていませんでした。
50万円あれば、格安のアパートを借りることが出来ます。
ですが、一切そのような事は考えませんでした。
「住む家がない追い込まれた俺=格好いい」
と、思ったそうです。
このネットカフェで、ドンペリを空けて一人で飲んでいた。
と、告白していました。
まあ、アホですね。(^^ゞ
IVANさんも愚かなことをした。
と重々反省しているらしく、
何度も、関係者さんに謝っていました。
そしていよいよ、所持金が無くなり、路上生活を始めます。
IVANさん、路上生活の方法がわかりませんでした。
まあ、普通はそうですね。
まずは公園で暮らそう!と思い、浅草の公園に向かいました。
浅草を選んだのは、人情味が溢れる街と思いっていたからでした。
そこで、偶然出会った浅草の路上生活者の先輩に弟子入りします。
その先輩から路上で生活する方法を学びました。
・その1:寝やすい場所を覚える
安全に寝られる場所を確保するのが、
俺ら=先輩達にとって一番重要な事だと教えられました。
この「安全に寝られる場所」がポイントです。
路上生活者は寝る時の安全確保が重要です。
良い場所は取り合いになります。
なので、場所取りも大切な仕事の一つでした。
あと、路上生活者同士にも縄張りがあります。
これを、破るとそのグループのリーダー同士での喧嘩にもつながります。
IVANさんも、このルールを知らないうちに破り、
リーダー同士の喧嘩になったそうです。
この時は、IVANさんが謝ってなんとかこの場が収まりました。
*寝床にも工夫がありました。
段ボールで寝床を作ります。
その段ボールは、2重構造でした。
下の段には、身体の形に合った、でこぼこの使い古した、
段ボールを使います。
その上に、新しい段ボールを敷きます。
上の段ボールは、1週間ぐらいで交換します。
言われてみるとへー。という感じですね。
・その2:食料の確保
この食料の確保ですが、そんなに困らなかったそうです。
なぜか?
曜日によって、ボランティアの方が炊き出しをしてくれたり、
教会の方が、パンと牛乳を出してくれたりしたそうです。
炊き出しでは、おにぎりと豚汁が出たそうですよ。
場所によっては、パスタやカツ丼が出たことも!!(゚д゚)
IVANさん路上生活中に、10Kgも太った。と言っていました。
これは、モデル時代の7年間、炭水化物を一切、食べなかった反動です。
と説明していました。
この太った!には、なんだかな~と思いました。(^^ゞ
・その3:自分が教わったことを、後輩に教えてあげる
路上生活者の生活ですが、上下関係に年齢は全然関係無いそうです。
1日でも長くこの生活を始めた人が、先輩です。
先輩は、後輩に生活方法を教えてあげないといけません。
今度は、IVANさんが後輩に教える番でした。
2人の年配の後輩が出来たそうですよ!
40歳と50歳だったそうです。
40歳代で路上生活者には、少々驚きました。m(__)m
・その4:現金を稼ぐ為に、バイトをしました。
現金収入を得る為に、バイトをしたそうです。
・ライブの警備員
・商品の梱包
・街の清掃
・ビルの解体
これも、感心しましたね。
全て日雇いのバイトですね。
体力があれば、現金収入の道があるんですね。
炊き出しに並んでいる時、厚さの為に倒れました。
熱中症でした。
病院に運ばれ点滴を打たれます。
路上生活を始めて4ヶ月、体力と気力の限界が来ました。
動けるようになった時、無意識のうちに、
幼少時代に過ごした、草加市へ向かっていました。
約15kmを歩いて、草加市の街へ。
街をぶらつき、懐かしい公園で一人ぼーとします。
街には、誰も知っている人はいません。
その時、声をかける人がいました。
声に気がつき、その人を見ると、母がそこに立っていました。
母も、音信不通になったIVANを心配して、外国から日本へ来てずっと探していたそうです。
IVANさん路上生活をこれで抜け出せました。
100円のありがたさが、身に染みたと言います。
それと、人のありがたさにもようやく気がついたとも。
「格好いいと思って出す個性は超ダサイ」
「個性は狙って出す物では無く自然についてくるもの」
それでも、個性を求める君へ
「自分の個性を見つけて磨く努力をしよう」
そう言って閉めていました。
人と違う=個性的=超格好いい!では無いです。
これが一番に言いたかったことでした。
「これ、中2病ですね」
と伊集院光さんにつ込みを入れられていたのですが、
その通と思いました。
でも、これは通ってこないとわかりません。
人それぞれ、大なり小なりあるかな?と思いました。m(__)m
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4ヶ月間、路上生活の様子を詳細に説明しました。
路上生活時代になんと○○Kgも太ったとも!!(^^ゞ
http://dimora.jp/talent-info/1/248604/?areaId=03より引用
*なぜ路上生活者になったのか?
全ては「個性的=格好いい」をはき違えたからといいました。
当時、パリコレの男性モデルまで務めたIVANさんですが、
同時にロックバンドも結成して音楽活動をしていました。
モデル活動+ロックバンド=個性的で超格好いい。
とはき違えていたそうです。
ロックバンドの活動をもっと優先したいが為に、
モデル事務所を勝手に辞めます。
そして、音楽事務所に乗り換えました。
ですが、音楽事務所です。
モデル活動のサポートはしてくれませんでした。
なんだかんだあり、全てが嫌になったIVANさんは、
この音楽事務所も勝手に飛び出します。
当時、音楽事務所の寮に住んでいました。
そこを、無断で出ます。
そしてそのまま、音信不通になりました。
24歳の時のことでした。
今までの、繋がりの一切を切りたかったそうです。
所持金50万円を持って、ネットカフェで生活を始めます。
携帯は誰とも連絡を取りたくなかったので、持っていませんでした。
50万円あれば、格安のアパートを借りることが出来ます。
ですが、一切そのような事は考えませんでした。
「住む家がない追い込まれた俺=格好いい」
と、思ったそうです。
このネットカフェで、ドンペリを空けて一人で飲んでいた。
と、告白していました。
まあ、アホですね。(^^ゞ
IVANさんも愚かなことをした。
と重々反省しているらしく、
何度も、関係者さんに謝っていました。
そしていよいよ、所持金が無くなり、路上生活を始めます。
*路上生活の先輩に弟子入りしました
IVANさん、路上生活の方法がわかりませんでした。
まあ、普通はそうですね。
まずは公園で暮らそう!と思い、浅草の公園に向かいました。
浅草を選んだのは、人情味が溢れる街と思いっていたからでした。
そこで、偶然出会った浅草の路上生活者の先輩に弟子入りします。
その先輩から路上で生活する方法を学びました。
*路上での生活
・その1:寝やすい場所を覚える
安全に寝られる場所を確保するのが、
俺ら=先輩達にとって一番重要な事だと教えられました。
この「安全に寝られる場所」がポイントです。
路上生活者は寝る時の安全確保が重要です。
良い場所は取り合いになります。
なので、場所取りも大切な仕事の一つでした。
あと、路上生活者同士にも縄張りがあります。
これを、破るとそのグループのリーダー同士での喧嘩にもつながります。
IVANさんも、このルールを知らないうちに破り、
リーダー同士の喧嘩になったそうです。
この時は、IVANさんが謝ってなんとかこの場が収まりました。
*寝床にも工夫がありました。
段ボールで寝床を作ります。
その段ボールは、2重構造でした。
下の段には、身体の形に合った、でこぼこの使い古した、
段ボールを使います。
その上に、新しい段ボールを敷きます。
上の段ボールは、1週間ぐらいで交換します。
言われてみるとへー。という感じですね。
・その2:食料の確保
この食料の確保ですが、そんなに困らなかったそうです。
なぜか?
曜日によって、ボランティアの方が炊き出しをしてくれたり、
教会の方が、パンと牛乳を出してくれたりしたそうです。
炊き出しでは、おにぎりと豚汁が出たそうですよ。
場所によっては、パスタやカツ丼が出たことも!!(゚д゚)
IVANさん路上生活中に、10Kgも太った。と言っていました。
これは、モデル時代の7年間、炭水化物を一切、食べなかった反動です。
と説明していました。
この太った!には、なんだかな~と思いました。(^^ゞ
・その3:自分が教わったことを、後輩に教えてあげる
路上生活者の生活ですが、上下関係に年齢は全然関係無いそうです。
1日でも長くこの生活を始めた人が、先輩です。
先輩は、後輩に生活方法を教えてあげないといけません。
今度は、IVANさんが後輩に教える番でした。
2人の年配の後輩が出来たそうですよ!
40歳と50歳だったそうです。
40歳代で路上生活者には、少々驚きました。m(__)m
・その4:現金を稼ぐ為に、バイトをしました。
現金収入を得る為に、バイトをしたそうです。
・ライブの警備員
・商品の梱包
・街の清掃
・ビルの解体
これも、感心しましたね。
全て日雇いのバイトですね。
体力があれば、現金収入の道があるんですね。
*体力と気力の限界が来ました
炊き出しに並んでいる時、厚さの為に倒れました。
熱中症でした。
病院に運ばれ点滴を打たれます。
路上生活を始めて4ヶ月、体力と気力の限界が来ました。
動けるようになった時、無意識のうちに、
幼少時代に過ごした、草加市へ向かっていました。
約15kmを歩いて、草加市の街へ。
街をぶらつき、懐かしい公園で一人ぼーとします。
街には、誰も知っている人はいません。
その時、声をかける人がいました。
声に気がつき、その人を見ると、母がそこに立っていました。
母も、音信不通になったIVANを心配して、外国から日本へ来てずっと探していたそうです。
IVANさん路上生活をこれで抜け出せました。
100円のありがたさが、身に染みたと言います。
それと、人のありがたさにもようやく気がついたとも。
「格好いいと思って出す個性は超ダサイ」
「個性は狙って出す物では無く自然についてくるもの」
それでも、個性を求める君へ
「自分の個性を見つけて磨く努力をしよう」
そう言って閉めていました。
*最後に
人と違う=個性的=超格好いい!では無いです。
これが一番に言いたかったことでした。
「これ、中2病ですね」
と伊集院光さんにつ込みを入れられていたのですが、
その通と思いました。
でも、これは通ってこないとわかりません。
人それぞれ、大なり小なりあるかな?と思いました。m(__)m
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